思い出が美しい理由と意外と昔のモノもいいこと

思い出はいつも綺麗だから

思い出が美しい理由

いわゆる思い出が美しい理由とは現状の自分の状態を肯定するため。

今の自分に満足しているので、過去にあった事象をも満足のいく美しい思い出にしている。この考え方はいわゆるアドラー心理学にある考え方になります。

どうして突然このような話を始めたのか。実は、少し前に昔は良かったおじさんに捕まって、話を延々聞いているうちに、どうしてこの人はこのように思うようになったのかと考えたからです。

おじさんは昔の苦労があったから、今の自分があるんだ的に言っていましたが、果たして本当にそうなのだろうかと気になりました。おじさんは今に満足していないように語りましたが、今の生活も楽しんでいるように思えたからなおのこと疑問です。

そこで過去に読んだ本を読み返してみて、この考え方にたどり着きました。

現状の自分に満足しているので、過去の事象もよく感じる。つまり、このおじさんは現状に満足していて、その上で過去のことをよく言っている。

なんだかんだ言って今が好きなんやん。何照れてんねん。

過去の栄光にを語る人は、今の自分に満足していないので別の話になりますがが、過去にあったそれ本当に良かった記憶なの?ということを、あれのおかげで今があるんだ的に語る人は今に満足しています。

今の自分を肯定するために過去のことを肯定しているわけですね。

昔は良かったの言葉

昔は良かったという人の言葉は、そのまま過去の事象を良かったと考えて今現在の自分の置かれた環境に満足していないという言葉になること。ただ、その言葉に昔にあった事象のおかげで今がある的に話す人がいたら、それは今の環境にも満足している人。

その人は昔は良かったと語りつつ、今にも満足していて、ただ話したいだけなのでは。

今回お話ししたおじさんはツンデレだったのかもしれない。おじさんのツンデレは海原雄山以来。

そう考えると話自体に意味などないから聞き流すのが正解ですね。聞き流しながらおじさんツンデレを楽しむ。

昔のものにふれてみたとき

余談になりますが、昔にやっていたゲームをプレイする機会がありました。

内容についてある程度おぼえていましたし、操作についても同様でしたので、新鮮さはないかなと思っていました。ですが、いざプレイしてみると当時と年齢、環境が違うということもあって、昔に感じた面白さとは違う面白さを感じることができました。

内容は同じなのに感じ方が違う。つまり自分が変わったということ。

なかなか新鮮な体験でしたので、年齢や環境が変わったときにまた何か本なりゲームなりを引っ張り出してきて楽しんでみようと思います。

今と違う感じ方をできそうですし。

このことも感覚的に思い出が美しい理由と同じじゃないかと思います。今、その昔のゲームが新発売されていたら誰にも見向きはされないでしょう。

でも昔やっていた記憶と、いま感じている感覚のギャップがいい。当時感じていた楽しくなかった部分の感覚も、今のプレイが楽しくてよく感じている。

現在の自分の満足しているという事実を肯定するために、当時感じていたことを全て肯定しようとしているのでしょうね。

今感じていることが思い出を美しくしている、そんなことに気づけました。

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